50年以上前、アフリカを旅したエル サルバドルの生産者が不思議なコーヒー樹と出会い、数粒の実をそっと持ち帰り植えました。それ以来、この樹は「ケニア」と呼ばれ、この地にだけ定着しました。この珍しいコーヒーを偶然発見したのが、コーヒーハンターJosé. 川島 良彰です。 この魅力的な樹が間もなく抜かれようとしているのを知った川島が、農園主を説得して樹を残し、日本でデビューとなりました。植物学的にも大変希少なコーヒーです。
COFFEE HUNTERS STORY
カルティバル ケニア
カルティバル ケニアを生産するブエノス アイレス農園とサン ホセ農園は、エル サルバドルのGrand Cru Caféを生み出すセルバ ネグラ農園と同じマティス家が経営する農園です。
2008年、マティス家との出会いからさまざまな出来事がありました。衝撃的なセルバ ネグラ農園でのケニア栽培種(呼称)の発見、農園主ロベルト マティス レガラードとの別れ、そして「カルティバル ケニア」の誕生です。
2008年、偶然通りかかったセルバ ネグラ農園で見たこともないコーヒー樹に出くわしました。そのチェリーは、他の品種と比べてミューシレージ(豆を覆う粘質)がとても多く、甘くてジューシー。品種を訪ねると「ケニア種だ」と言うのですが、植物学的には存在しません。
この未知の品種に魅了されましたが、ロベルトは「収穫が終わったらコーヒー樹を切ってアボカド畑にする」と言うのです。そこで、「アボカドなど抜いてしまい、希少性の高いケニアを残して日本市場にデビューさせよう」と説得しました。初対面で、それも外国人の僕の話を聞き、最後に「お前を信じる」と言ってくれた時は、感激して力が抜けてしまいました。
翌年、ボトルに詰めたレセルバ ケニアを持参し、その場で抽出してロベルトに飲んでもらいました。彼は一口飲むと僕に軽くウインクして、「コーヒー樹を残してよかったよ!」と言った時は、本当に嬉しかったです。
しかし、それがロベルトとの最後になってしまいました。癌を患い長期間アメリカで治療を受けた甲斐もなく、亡くなってしまったのです。この思い出のケニアから種子を取り、一族が経営する"ブエノス アイレス農園"と"サン ホセ農園"に植えました。それが、この「カルティバル ケニア」です。
マティス一族はもちろん、僕にとってもこのケニアはロベルトの残してくれた大きな遺産です。